「2016年 クリスマスを迎えて」
- シメオン後藤正史神父
- 2016年12月1日
- 読了時間: 2分
皆さん、年の瀬をいかがお過ごしでしょうか。今、年の瀬と言いましたが、教会の暦では11月27日から新年が始まっています。この日、すなわち、待降節第一主日(日曜日)、つまり救い主イエスのご降誕を祝う日、クリスマスに向けて心や生活を整え準備する特別な日々(待降節)が始まる日がいわば教会暦の元日となっています。ですから、ほかの司祭たちはあまりしないことでしょうが、わたしは毎年、この日には、ミサ(神に賛美と感謝を捧げ祈る祭儀)の初めに、「新年おめでとうございます」とあいさつします。信者ではあってもたいがいキョトンとしていますが、少しずつ慣れてきて、「おめでとうございます」と小さな声で答えてくれる人もいます。
世間では、12月は師走、歳末で一年を振り返る季節となっていますので、わたしたちキリスト者はクリスマスに向けて、心や生活のあり方を振り返る中で、その軸を神の方に向けなおす期間ともなります。今、排外主義、すなわち、ウチを第一にして、よそ者(異質なもの)、自分たちにとって邪魔な者を排除しようとする考えや態度が黒雲のように世界を覆い始めています。日本にあってはヘイトスピーチ、アメリカにあってはトランプ新大統領誕生、ヨーロッパにあっては極右勢力の台頭などにより、自民族中心主義、白人中心主義が勢力を増しています。その底には国際金融資本や国家権力層の横暴、政策、あるいは貧困化が一因ともされます。そのような経済や政治の問題点を現教皇フランシスコは痛烈に批判すると同時に、わたしたちキリスト者に貧困や苦しみと戦っている人々と徹底して連帯しなさいと勧めます。献金するだけでは足りないと。
クリスマスを迎えるということは、憎しみに愛は必ず打ち勝つということ、どんなときにも希望を持って歩む道が備えられているということを確信することでしょう。ですから、おめでとうと新年にあたり挨拶を交わすことができるのです。主イエス・キリストのご誕生は闇に光をもたらしました。絶望のあるところに希望をもたらしました。
やっても無駄だ、そうなってるのだから、自分がシャカリキに頑張ったところで何も変わるわけがないといった発想、行動パターンの落とし穴にわたしたちははまりません。
「主イエス・キリスト、罪びとのわたしたちをあわれんでください」とおりにふれ、祈りながらこの待降節、年の瀬を過ごしましょう。「主の祈り」を唱えながら、神と人に仕える愛を静かに実践しましょう。きっと、主はいつも共にいてくださいます。安心して身も心も主にゆだねます、幼子のように。
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