主の洗礼
- シメオン 後藤正史
- 2016年1月15日
- 読了時間: 3分
わたしたちは先週、主イエスの御公現をお祝いしました。一方、今日は二回目の御公現を祝います。それは主イエスの洗礼のお祝いです。今日をもって、クリスマスシーズンが終わります。明日から年間第一週、祭服緑色の日々が始まります。今日、馬小屋や飾りつけを片付けるにふさわしい日です。
主イエスも洗礼をお受けになりました。洗礼者ヨハネからです。主イエスの洗礼は、主イエスが神の子であることを世の人々に示すことになりましたので、第二の御公現と言えるでしょう。神の子主イエスがこの世にわたしたちと同じように人としてお生まれになったことで、わたしたちも聖なるものとなる道が開かれました。
ヨハネは人々が悔い改め、洗礼を受けることによって、生き方を変えることを呼びかけていました。イエスはヨハネのことは耳にしており、人々が新たな道を求めていることをよく知っておられました。イエスはヨハネが辞退するのもかまわず、洗礼を彼から受けました。主イエスもまた、この世の変革、神の国を求めておられたからです。
主イエスの第二の御公現、主イエスの洗礼にあたって、「これはわたしの愛する子」という父なる神のことばが要となります。わたしたちは主イエスを通して、父なる神の望みを実現しようと努めます。主イエスは何一つ罪がなかったのに、聖霊の恵みの中で、わたしたち皆のために、洗礼を進んでお受けになりました。わたしたちは洗礼を受けることによって根本的に生まれ変わりました。そこで、今日はイエスと共に洗礼の恵みを思い起し、新しい年の初めに御旨のままに新たな一歩を踏み出すことにいたしましょう。第二朗読テトスへの手紙にあるように、イエスを受けいれる者には、神の子どもとなる力を与えるとイエスは約束しておられます。わたしたちは人間の子どもであると同時に、神の子どもともなりました。神の子どもであるには、まずイエスを受け入れること、そして洗礼を受けることが求められます。
わたしたちは洗礼の恵みによって、絶えず新しく生まれ変わる機会が与えられ、新しいスタートをすることができます。洗礼の恵みによって、何度もやり直しができる道が開かれました。何と幸いなことでしょう。テトスへの手紙でパウロはこう言います。「神は私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分の憐れみによって、私たちを救ってくださいました」と。
この20日足らずの間に、舞台はベツレヘムからナザレへ、年齢は赤ん坊イエスから30歳のイエスへと移行しました。このイエスの生涯はすべて神の御計画のもとにありました。主の洗礼は神から私たちに注がれる、神の慈しみを受けとめる良い機会となります。主イエスは洗礼を受けてから、父なる神の愛と、聖霊の導きのもとで、公に宣教活動を始めました。そして、わたしたちは洗礼によって、罪のゆるしと教会のメンバーとなる恵みが与えられました。主イエスの宣教活動は三年ほど後の御受難、十字架と死によって終わったのではありません。私たちキリストの弟子たちによって、宣教の使命は受け継がれ、継続しているのです。私たちはこの地上におけるキリストから派遣された大使として働かせていただきます。
喜んで主イエスキリストから託された使命を共に果たして行きましょう。感謝のうちに。
アレルヤ!
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