top of page

十字架称賛の日

  • シメオン後藤正史神父
  • 2014年9月13日
  • 読了時間: 2分

今日は十字架称賛の御祝い日です。十字架はもともとイエスの時代、ローマ帝国では辱めと死のシンボルでした。それがイエスの十字架上での死を通して、栄光とあがないのシンボルとなりました。同じ十字架が全く反対の意味となったのでした。

 教会の聖堂を外から、また中に入って見た時も、まっさきに見える形で示すシンボルです。実際、わたしたちは祈るたびに、自分の身体に十字架の形を印します。十字架はわたしたちの信仰と切っても切り離すことができません。

 イエス・キリストは十字架の上で、人々一般のために死んだのではなく、このわたしとあなた一人一人のために死んだのです。主イエスがわたしたちをとことん、死に至るまで、愛してくださったからこそ、わたしたちに生きる意味が与えられ、救われました。イエスの十字架はわたしたちをねたみから、他人と比べることから解き放ちます。そうして、これ以上ない愛に包まれたわたしたちは、心の奥底から湧き上がる笑顔に包まれる恵みをいただきます。主イエス・キリストは死に至るまで従順であったからこそ、高く上げられました。イエスの十字架からわたしたちは教えられます。わたしたちは自らを空っぽにする時、本来に自分、み旨にかなう自分に立ち返ることができ、永遠のいのちをいただくことができます。

 一方で、いくら正しくすべきことであっても、気が進まず、避けたい気持ちになる時があります。また、苦しさのあまり、すべてを投げ出したいような時もあるかもしれません。そんな時、わたしたちは十字架を思い起こしましょう。「それぞれ、自分の十字架を担いなさい」とおっしゃる主イエスは、わたしたちに無理難題を押し付けておられるのでしょうか。決してそうではありません。わたしたちの苦しみや困難を放っておかれません。主イエスご自身が共に十字架を担ってくださるとお約束してくださいました。ここでも、自分を空っぽに、自分を無にする時、自分の思いや苦しみから解き放たれ、神様からの途方もない力をいただく道が開かれています。

 今日は、じっくりキリストの十字架を重ね合わせながら、自分自身への、わたしたち教会への神からの呼びかけを思いめぐらせましょう。

Today we celebrate the Triumph of the Cross. Christ died not just for people in general but for me and or you.

We are saved from meaningless lives due to the love of the Lord. The Cross of Jesus both reveals envy and prvides the ultimate love. Amen.

最新記事

すべて表示
カトリック柳井教会をお訪ねくださった皆様へ

後藤正史神父(2014年4月~2017年3月まで柳井カトリック教会主任司祭) 柳井教会HPをお訪ねくださった皆様へ 柳井教会の草創期には、旅館、信徒宅などでミサ(礼拝)や集会を持っていました。文字通り、手作りで教会(信仰共同体及び祈りの場所)を作り上げてきた歴史があります。...

 
 
 
主に立ち帰る四旬節(40日+主日6日=46日)

~真の喜びは回心・和解・ゆるしから~ 四旬節(受難節:今年は3月1日、灰の水曜日から4月15日、復活祭の前日)は頑張ったり、我慢したりなどするイメージが強い季節ですが、そのようなことに力点が置かれると、本筋を見逃してしまうことになりかねません。...

 
 
 
2月12日(日)年間第六主日メッセージ

今日の福音も、マタイ福音書の5章から7章にかけて語られる、イエスによる山上の説教の一部に耳を傾けます。マタイ福音書は聖書、旧約聖書とユダヤ人の伝統に生きてきたキリスト者たちのために書かれました。それで、律法に関連した話がとても多いです。律法というのは旧約聖書の最初の五冊、い...

 
 
 

Comments


bottom of page